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2009年7月

金田伊功さんの事

私と金田さんとはとっても薄い関係です、亡くなったからって大騒ぎするような間柄か?と聞かれれば「否」ですが、もう少し金田さんについて語らせてください。

では一言で言えばどうゆう関係か・・・カリスマと一ファンです。

多くの金田ファンはその絵柄、構図、タイミングに魅せられてファンになられたのでしょうが私はその生原画を見たとたんにファンになりました。

何が良いかって「楽しそう」なんです、描いていることが。

これは印刷された紙面より放送された画面より生原画を見てはじめて感じました。

それはそれまでの自分と真逆の方向性だったのです。

その頃(約20年前)の私は駆け出しの原画マンでいつも原画を描きながら、

「失敗したらどうしよう…怒られたらどうしよう…」

と、おびえていました。

そういった事柄から一切解脱したような原画…本当に目が覚めるようでした。

ですから前回書いたように「大勢の人に見て欲しい」と思ったのです。

原画を貰って欲しいなどと書いておいてすぐに消して申し訳ありません。

今回金田伊功を送る会」を立案運営していただいているなみきたかしさん(アニドウ代表・オープロダクション代表取締役社長)に預かっていただくことに決めてしまったのです。

今回の「送る会」、本来この役割は我々「JAniCA(日本アニメーター・演出協会」がやるべきなのです。(金田さんはJAniCAの発起人でもあります。)

ですが、まだ我々にはそこまでのフットワークと組織力、実行力がない…真に歯がゆい思いです。

アニドウはアニメーター中心の研究団体です、アニメーションの特集番組等があるとそちらから資料が提供されることもしばしばあるようです。

そういった点でも預け先として妥当なのですが、今回「送る会」をこのスピードで立案し発起人を集め運営して頂いた事に対して私からの「お礼」の意味も兼ねているつもりなのです。

それに今後追悼本などを出すにあたってもやはりアニドウにお預けするのが得策だと思います。

この送る会、「協力:日本アニメーター・演出協会」としてもらっていますがまだまだ何も出来ていません。

でも、これからです、これからより良い「送る会」運営のために尽力する所存です。

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以前のブログ冒頭の部分で「悔しい」と書いたのにはそれなりの理由があります、実はJAniCAホームページ内の「じゃにか倶楽部」において金田さんの連載を予定していたのです。

私はこれを密かに心持にしていました。

その名残が今でもページ内にあります。

http://www.janica.jp/club/modules/xhld0/index.php?id=6

しばらくメディアから遠ざかっていた金田さん、ここでまた新しい伝説を…は大げさかもしれませんがもう「戸隠」ではなく我々の前に姿を現してくると思った矢先の訃報…

やはり悔しすぎます。

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【訃報】 金田伊功さんの思い出 【追悼】

もう、なんといっていいか分からないぐらい悲しいし寂しい、そして悔しいです。

http://www.anido.com/html-j/news2009-j.html

「スタジオZ5にいたのだから金田さんとも交流があったんでしょう」

と、思われる方も多いと思いますが相手は大御大、ド新人ごとき気にかけるはずもなく(笑)というかあの人は分け隔てなくマイペースな方なのでしょっちゅう顔は合わせていたもののお話しする事はその当時はありませんでした。

というかNo,1の皆さんは全員そうでした。

No,1の皆さんはいつも夕飯時になると

「やっくん~(※1)飯にいこう~、カメさん(※2)は~?」と言って私がいた部屋の扉を開けました。

そのつどアニメ誌で見た顔が…越智さんだ!鍋島さんだ!貞光さんだ!・・・ん?誰この人、雑誌で見たことないよ・・・

そう、雑誌での金田さんはサングラスにロンゲだったのに対しその頃のリアル金田さんは短髪で普通のメガネをかけていたんです。

その人が金田さんだと気付くまでしばらくかかりました。

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ずっと忘れていましたが今になって思い出したことが一件。

Z5在籍中一回だけお話しと言うか声をかけられたことがありました。

それは草野球をやることになり即席で「No,1&Z5チーム」を作り「東京ムービーチーム」と対戦した時、試合後の反省会でみんなに今日は良かった悪かった等の「金田評」を告げる際、名前も知らない私に

「君・・・君も・・・良くがんばったよ。」

と言う社交辞令(笑)をいただき勝手に舞い上がった思い出があります。

もう一つだけあるZ5在籍中の思い出は、

「鍋島くんが持ってきた北海道土産のカニ食べよう~」とやってきてみんなに混じって並んで食べた思い出ぐらいです。

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始めに「その当時は」と注釈を入れたのは私がZ5を辞めてから1,2年後だったか二言三言だけ話したことがあるからです。

それは声優さんたちが行ったデモ行進の時です。

90年代半ばごろ声優さんたちがギャラアップや二次使用権などを勝ち取る為のデモ行進を行ったことがあり、その当時在籍していたスタジオぎゃろっぷにも「アニメーターさんたちもどうぞご一緒に」といった感じのチラシが回ってきました。

「これは!参加しなきゃ!」と思い参加しましたが、そのデモに参加したのはぎゃろっぷからは私だけでした。

参加と言ってもデモ行進の後ろを金魚の糞のようについていっただけですが(笑)

その中に金田さんもいらっしゃったのです。

誰も知り合いのいないポツンとした状況が心細くなり、唯一の知り合いである金田さんにお声をかました。

「今日の参加は金田さんだけですか?ほかのNo,1やZの方々は来ないんですか?」と話しかけたのですが案の定忘れられていて「?」状態の金田さんに経緯を説明したら、

「じゃあたまにはZ5にも遊びに行ったりするの?」と聞かれたものの、

「いやあぁ・・・辞め方があんまりいいもんじゃなかったんで・・・」

というと金田さんはあっけらかんと、

「いいんだよ、気にしないで遊びに行けば~」

と言っていただきました。

その言葉が超嬉しく、その後すぐにZ5に遊びに行きました、なんて短絡的な私(笑)

でもその時は亀垣さんしかいなく、

「あれ、なに?どうしたの~」

と言われ、我に返りました(笑)

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時は経ち、JAniCAの発起人になっていただけたのも凄く嬉しかったし、設立発表記者会見の際は会場にもいらしていただいたのも本当に嬉しかったです。

たまに、「スタジオZ5にいたのだから金田系アクションとか好きなんでしょう」言われますが、私がZ5を選んだ理由は師匠の本橋が描く「美少年キャラ」が好きだったからです。

というかそれらが上手く描けると女の子にモテたから(笑)なんて邪なわたし(^_^;)

それに金田さんの事は世間を騒ぎだすようになってから着目して、

「なんて雑な絵」

と、思った口です。(笑)

こういっちゃ何ですが「適当?手抜き?」と思ったものです。

でもそのアクションは多分にもれず小気味良く感じていました。

MYベストは「超電磁マシーン ボルテスⅤ」のOPです。

そしてその偉大さを実感するのは原画を描くようになってからです。

真似してみようと思っても全く出来ない、才能の違いというものをまざまざと見せ付けられた気分でした。

しかもそれを全く鼻にかけない、驕らない、皆に好かれる人格だったと思います。

さまざまな訃報を聞くたび「良い人ほど早く召される」と思います。

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またウィキではこう評価されています、

元来、金田のスタイルは、日本のテレビアニメーションに要求されている「枚数を少なくする」という条件から生み出された苦肉の策でもあった[要出典]。少ない枚数で動きを出すためのひとつの方策として、動きの中割りを極端に省いたり、広角や魚眼のレンズで見たような視点といったアイデアを積み重ねて確立した。

私の考察ではただ単にいっぱい描くのが面倒だっただけなんじゃないかと思います。

でもいっぱい描く必要なんかないんです。

なぜなら「1コマ、1コマが動いている止め絵」だからです

「少ない枚数でも動き重視」というのはひとつのエポックであり[要出典]、それゆえ、アクション、ロボットアニメ等数多くの作品で彼はその力量を発揮した。

私の持論、「情報の詰まった良い絵をコマ撮りするだけでアニメーションは成立する」という考えは金田さんの原画を見て感じたことです。

そういった意味では私も「金田フォロワー」

若いアニメーターの人達もおぼえて置いてください。

駄目な絵10枚の原画より、生きた絵5枚の原画のほうが優れていると。

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以前書いたブログ伝説のカット

昔は参加した作品の原画は返却するような風習があったのか スタジオZ のアニメーターが参加した作品の原画が「押入れ(笑)」に沢山ありました。

Z5が引っ越す際にそれらを全部捨てるというのでお願いして何点か譲ってもらいました。

金田さんの原画をもらおうと原画の山をあさっていると見たことあるようなカットが・・・

ということがあり本命の金田さんの原画も多数ゲットしました。

ザンボット、ダイターン、ホセフィーナ、そしてキャンディキャンディ・・・

でも、今は押入れの奥にしまってあるだけなのでどなたかファンの方で大切に保管してくれるという方が現れたらお譲りしようと思います、(※3)あれは眠らせるべきものじゃありません、大勢の人目に触れるべきものです。

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一緒に野球をやった時ショート(セカンドっだったか?)を守っていた金田さん、何故かセンターの位置ぐらいまでに下がっていて(笑)みんなが

「金田さん!そこセンター、センター!」

と突っ込むと、

「だって、後ろの方があんまり玉飛んでこないかと思って(笑)」

と言うお言葉。

訃報の何が嫌かって楽しかった思い出を悲しさにすり替えてしまうことです。

本当に、本当にご冥福をお祈りいたします。

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※1=長岡康史 ※2=亀垣一 (敬称略) ※3=すみません、引き取り先を決めてしまいしました。

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